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錦帯橋

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山口県の岩国にある錦帯橋です。

 

【苦難の道のり】

岩国を二手に分断していた錦川を渡る手段として、最初は船が出ていましたが、水かさが増した時には船が出せなくなります。

川を渡る手段がないと政治もままならないと判断した当時の岩国藩藩主の吉川広正は、橋をかけます。

しかし、2年後に洪水で流れてしまいます。

川幅が200mと長く、急流になりやすい川の形状が当時の技術では、流れない橋を架けることが困難だったのです。

流れない橋の実現。これが藩の悲願となっていました。

流れない橋が実現したのが後の藩主、広川広嘉のもと1675年でした。

広正の架けた最初の橋の完成が、1657年と20年近くかけて流れない橋が完成しました。

それは、長崎の眼鏡橋のようなアーチ橋を研究しました。しかし、200mと長い川幅にアーチを築くことはできません。

悩んだ、広嘉は「西湖志」という本を見て閃きました。長い川幅にいくつか島を築いてこれにアーチ橋をかければいいのだと。

そして実現した流れない橋は、改良に改良を重ねられますが1950年についに濁流に飲み込まれてしまいます。

その際「近大交通に役に立たない橋でなく、コンクリート橋にすべき」との意見が出ましたが、地元の交渉の結果、原型で復旧を果たします。

【名前の由来】

もともとは、「大橋」と呼ばれることが多く、吉川広嘉も幕府には「岩国大橋」と伝えていました。

「錦帯橋」という呼び名が広まったのは、1780年ころで、公式に設定されたのは、明治維新後でした。

「錦見」という地名から名付けられたなど、諸説あります。

【まとめ】

観光地として有名な錦帯橋ですが、苦難の連続でしたね。

今では観光名所となっていますが、名前の由来からもわかるように、もともとは交通手段として活躍していました。

周辺にはお土産屋さんや、昼食場所があり、立ち寄り施設としてご利用いただけますね。

 

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